はじめまして山伏です
こんにちは。坂本大三郎と申します。僕は東北の羽黒山で修行をしている山伏です。山と日本人の関わりについて文化の側面からみてみようというこの企画の第一弾として、今回は神奈川県の葉山町にある仙元山に登ってきました。

日本人にとって山とは何か?
人は自然と向かい合い、その交渉の中で生きるための知恵、文化を作り上げてきました。
古代、人にとって自然はカミや精霊と呼ばれました。自然に向かって訴えかける言葉からウタが、その時の所作からマイが生まれました。激しくマウことがクルウでした。その言葉から、呪術者を中心とした集落のマツリの中で、自然と向かい合う人々の情熱的な情景が浮かび上がってきます。日本文化はそのような場所から生まれてきたものなのです。
日本人にとってカミや精霊を象徴する自然とは、一体どのようなものだったのでしょうか?数万年前に海をわたって、この列島にたどり着いた僕たちの祖先にとっては、海の彼方が最も神秘的な自然と考えられ、後にカミや精霊が天から降りてくるものと考えるようになって、山がカミや精霊の住処とされるようになったといわれます。諸説あり、地域によっても異なり一様ではありませんが、僕たち日本人にとって、山がとても大切なものと考えられたことに間違いはありません。

死者の集う山
山の中でも東日本に現在でも存在するハヤマと呼ばれる、集落の近くにある小高い山は重要な山でした。ハヤマとは葉山や羽山とも書かれますが、端の山という意味を持った山のことです。古代より、人は死に魂となるとハヤマに行き、長い年月をかけてミヤマ(深山)に登っていくと考えられていました。そのような祖霊の集う聖なる山では、重要な儀礼がおこなわれました。
集落の中の男性は、成人となる年齢になるとハヤマに籠り、死者の集う場所で、断食をしたり眠りをとらないなどして、儀礼をおこなうことで、成人男性として認められることができたのです。ハヤマ籠りと呼ばれるこのような成人儀礼は世界各地でおこなわれ、その文化比較で、縄文時代に由来するものだと考えられています。また、ハヤマ籠りは東北の山伏の修行のルーツとも考えられ、山伏が神道や仏教よりも古い自然崇拝信仰を元にしている所以ともなっています。

関東の葉山
東北の羽黒山の山伏である僕ですが、生まれも育ちも千葉県で、現在も関東で生活しています。そんな僕にとってハヤマといえば、神奈川県の葉山がすぐに頭に浮かびます。
現在葉山町には葉山と呼ばれる山は存在しません。おそらく長い年月の間にその名は忘れられ、別の名称がついているはずです。
葉山町は明治時代に六つの村が合併し、中世のこの地域の名をとって誕生した町です。おそらくその集落ごとに葉山にあたる山が存在したことでしょう。地図をみると、大峰山、二子山、阿部倉山、仙元山などが目につきます。その中でも僕が関心を持ったのが仙元山でした。

仙元山って?
仙元とは、おそらく浅間のことだと思われます。富士信仰の神社を浅間神社ということからもわかるように、浅間とは富士山の別称です。
富士信仰は江戸時代後期に爆発的に広まりました。人々は新しい信仰に飛びつき、それまで自分たちの聖地であった場所を富士山に見立てて信仰するようになりました。つまり、仙元山が富士信仰の山であれば、富士信仰以前に聖地とされていた山である可能性が高いのです。僕の推測通りであれば、山頂には富士信仰に関する石碑と、古い由来を示す祖霊を祀った祠のようなものがあるはずです。

いざ仙元山
閑静な高級住宅地を、下町気質の僕は少々居心地の悪さを感じながら歩いていました。緑の多い葉山町の中で、仙元山は意識しなければ気がつかないような小山でした。「仙元山はこの先であっていますか?」僕は立ち話をしていた地元の方に尋ねてみました。「そうです。この先の公園から登れるけど昨日の大雨で道が悪いよ」この日は幾分時期の早い台風がやってきた翌日で、風が強く、時折雨がぱらつきました。
山の中に入ると、風で落とされた小枝が散乱していました。少しぬかるんではいましたが、歩きにくくはありません。歩くこと十数分、鬱蒼とした森が開けて山頂にたどり着きました。
とても見晴らしの良い場所でした。眼下に広がる葉山の町に海、そして遠く伊豆半島が見えます。気持ちの良い景色です。小さな公園のようになっていた山頂の端に石碑が建てられていました。そこには「不二仙元大菩薩、食行身禄」と彫られていました。不二仙元大菩薩とは、まさに富士信仰の仏です。食行身禄というのも富士信仰の重要な指導者の名前でした。仙元山は富士信仰の山であるという直感があたりました。そして山頂の中央に生えている樹木の横には大きな鎮魂の石碑が建てられていました。戦争で亡くなった集落の人々を弔ったものでしたが、この山が死者の集う山であるという記憶が残されていたのではないでしょうか。仙元山の周辺には縄文遺跡も発見されていますが、古い時代にこの土地で暮らした人々の暮らしにしばし思いを馳せてみました。
それから僕は仙元山を後にして、一時間ほど縦走し山を歩いてみました。今回のテーマからは逸れるので深くは書きませんが、歩きやすい良い山でした。

山に保存された記憶
このような集落の近くに存在する小さな山は、現在では忘れ去られがちですが、僕たちの文化、生活と深い関わりのあるものなのです。みなさんの暮らしている土地にも、きっとそのような山があるはずです。もう一度身の回りにある山、自然に目を向けてみれば、思いがけないほど古い、僕たちの祖先との繋がりに出会うことができるかもしれません。

(文 /イラスト 坂本大三郎)