極北の、広大な自然と共に、私を魅了してやまないのは、この地に暮らす人々だ。厳しい大自然の中で生きることを敢えて選択した彼らの、シンプルで美しい暮らし方には、はっとさせられることが多い。

アラスカ第二の町、オーロラ観測の場所として有名なフェアバンクス。人口3万人の小さな町を抜け、車を走らせること1時間。森の中で、ハスキー犬20匹と共に暮らすエド&パット夫妻も、私の大好きなローカル・アラスカン。

彼らの家は、静かなスプルースの森の中にあった。広大な森を買った最初の年は、道路から家を建てる予定の敷地までの、数キロの道を切り開くだけで一夏が終わったという。家を建てる場所を決め、木を切り倒し、仲間の力を借りながら、数年かけ、自分たちの手でログハウスを建てた。

アラスカの郊外の家にはよくあるように、この家には、水も電気も通っていない。炊事に必要な水は、町から汲んできたものをバケツに取り置いて、大事に使う。電気の代わりに、料理と照明はプロパンガス。唯一家の中にある電化製品といえば、少し古びたパソコンで、これだけは、ジェネレーターの電気を使い、1日に1回、時間を決めてメールをチェックし、外界と繋がっていた。
部屋の明かりは、ガスランタン。夕方になると、マッチで火を灯す。シューシューと静かで規則正しいリズムで耳に入ってくるガスの音、ランタン独特の、やわらかい橙色の小さな光は、寒い夜に、不思議と暖かさをもたらしてくれる。

トイレは、玄関を出て30歩のところにある。2mほどの穴を掘り、その上に簡素な便座小屋を建てたアウトハウス。便座は分厚い発泡スチロールに穴をあけて作るので、座った時に冷たさを感じることはない。数年使用し、穴が埋まると、別の場所に新しく穴を掘り直し、上の便座小屋を移動させる。
このトイレにはドアがついていないので、用を足しながら景色も楽しめた。スプルースの木の上で、餌を探しているリスと目が合うことも少なくない、実に爽快なトイレなのだった。

居室も、シンプルで素朴な作りだ。部屋は、仕切りのない小さなワンルーム。20畳ほどの広さの部屋の片隅には、背の高いベッドが1つと、フカフカで座り心地の良い2人掛けソファー。壁の上の方に、書棚が作り付けられている。逆の壁際には、小さなキッチンと薪ストーブ、と、必要最低限の家具が、無駄なく配置されている。
テレビはないが、代わりに、森と湖と遠くの丘を一望できる大きな窓があった。一葉の絵のような窓枠の外の景色は、時折、のんびりとムース(ヘラジカ)が右から左に横切っていく。

とにかく、この家は、シンプルな空間だった。ミニマムではあるけれど、清潔で整然と整えられていて、貧しいというのとは一線を画している。余計なものを意図して排除したこの部屋には、凛とした素朴な美しさが漂っていて、居心地がいい。

冬、外で日中を過ごした後、冷えきった体でこの家にお邪魔するのは至福のひとときだ。パットお手製のケーキを頬張りながら、揺りかごのようなソファーに体を沈ませ、一息いれる。

暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音を聞きながら考える。ああ、人間というのは、これだけのものがあれば十分豊かに暮らせるのか、と。「私が持っていないものを持っている」人ではなく、「私が持っているものを持っていない」人を羨ましく思うなんて、逆説的で不思議な感覚だ。

じきに体が温まり、居心地のよいソファーのせいで、眠気がやってくる。閉じた瞼の向こうには、東京の自宅にある、もう何年も使っていないガラクタたちが映し出される。
よし、今度帰ったら、要らない物は思い切ってどんどん捨てていこう、もっと身軽になろう、と、決心するのだった。

写真・文 青崎 涼子(あおさき りょうこ)
1972年生まれ、東京出身。仕事で訪れたことがきっかけで極北の大自然と人々の生き方に魅せられ、アラスカのアウトドア・リーダーシップスクールNOLSへ入学。文明から離れ原野や氷河を旅しながら、背中に背負った30キロの荷物一つで生きる術を学ぶ。
現在は、極北の大地を自分の足で旅するとともに、ヨーロッパやカナダでのトレッキングガイドや、極北の自然を楽しめるアドベンチャーツアーのコーディネートを行う。
ブログ「青の洞窟」(http://aonodokutsu.blogspot.com/
ツイッター( @wildernessryoko )

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