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「え、おまえ、橇に乗ったままだったの?ありえないね。犬の気持ちになってみろよ。」

3月。いくら春とはいえ、夜にはマイナス20度まで下がるユーコン原野の夜は十分に寒い。気を緩めた途端、どこからとなく忍び寄ってくる寒さに対抗するには、焚き火の前で、温度よりも高いアルコール度数の飲み物を胃に流し込むが一番だ。私たちは、雪の上でチリチリと赤く燃え続ける薪の、心強い遠赤外線オレンジ色の光を見ながら、シエラカップに入ったウィスキーを片手に、犬橇の1日を振り返っていた。

キャンプ2日目。うねうねと曲がりくねった、上り下りが延々と続く森は、高速道路のように平らな川を走るよりも、ずっと面白い。
私の橇の犬たちは逞しく、上り坂でも元気に走り続けていたので、彼らに任せきりだった。自分は橇の上に乗ったまま、景色に気を取られていた。何といっても、森の中は、生き物の気配が濃厚なのだ。頭上で行き交う複数の鳥の鳴き声、ビーバーが削り倒した木々、新雪につけられたテンの足跡、奥の丘には野生の馬。聞こえる音といえば、犬たちの呼吸音と、橇が雪の上を滑る音のみ。

「ユーコンに来たって感じだよね」と嬉しそうに語った私を、共に旅をしていたメンバーは、笑顔のまま静かに諭した。

あんな小さな体で、重たい橇を引っ張りながらの上り坂は、犬たちにとっては厳しいはずだ。けなげに引っぱり続ける背中を目にして、自分に何ができるかと考えたら、橇から片足を降ろし、犬と一緒になって、橇を押し進むのが当然じゃないのかな。のんびり景色見ている余裕なんて、僕にはなかったよ、と。

言い訳する余地のない正論だった。私は、橇に乗っている荷物でも客でもなく、共に旅をする犬たちの、チームの一員であるべきなのだ。橇の上で楽をしていた自分を恥じ、顔が赤くなる。が、そこはキャンプ、闇の世界。暗がりで、周囲に自分の表情の変化がみえないのは、幸いだった。

人間と犬が力を合わせて進む。

翌日。橇を引いている犬たちの背中を見ながら、一生懸命走ってくれている彼らに、私ができることを考える。声の出せない彼らの声を聞き始める。上り坂では橇を押し、カーブは曲がりやすいよう、上手に体重を左右に移動させる。休憩時には暑がっている(汗をかけない犬たちにとって、氷点下10度は暑すぎる!)彼らの頭に雪をかけ冷やしてやる。寒さで感覚の鈍くなくなった自分の鼻よりも、犬たちのブーティ(靴下)が脱げたことを気にかける。

橇は前日よりもずっとスムーズに滑り、心なしか、犬たちも気持ちよく走ってくれている気がした。橇を止めて脱げたブーティを履かせ直した私の顔を、ヤッチー(犬の名前)は、ペロリと舐めた。言葉は話せない犬たちなのに、犬と私の間にも、確実に信頼関係が存在しうると感じた、ヤッチーからのキスだった。

共に苦労して何かを成し遂げた仲間との距離感は、ぐっと縮まる。その仲間は、相手が人間でも犬でも同じこと。それに気付いてからは、ユーコンの雄大な景色よりも、ハーネスを装着した犬たちの背中姿に、ぐっとくる私だ。

犬橇は、犬と人間との信頼関係が必要。

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~犬ぞりを操り原野キャンプ、夜空に煌めくオーロラを求めて~
2012年3月24日(土)~3月31日(土) 8日間
http://www.expl.co.jp/shugaku/kikaku/12win/yxy/index.html

写真・文 青崎 涼子(あおさき りょうこ)
1972年生まれ、東京出身。仕事で訪れたことがきっかけで極北の大自然と人々の生き方に魅せられ、アラスカのアウトドア・リーダーシップスクールNOLSへ入学。文明から離れ原野や氷河を旅しながら、背中に背負った30キロの荷物一つで生きる術を学ぶ。
現在は、極北の大地を自分の足で旅するとともに、ヨーロッパやカナダでのトレッキングガイドや、極北の自然を楽しめるアドベンチャーツアーのコーディネートを行う。
ブログ「青の洞窟」(http://aonodokutsu.blogspot.com/
ツイッター( @wildernessryoko )

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